祇園白川沿いの風情ある場所にたたずむ料理旅館白梅。老舗の格式、きめ細やかなおもてなしで、国内外から高い評価を得ています。
その人気旅館の女将から見る祇園の景色を『きょうとくらす』で毎月1回、コラムでお届けします。
第10回の今回は、梅の実と無病息災を願う京都の風習についてお話しします。
自宅のカーブ!?で熟成させる梅酒
宵闇に蛍がふわりと舞っている、そんな6月、水無月はじめの祇園白川。川沿いのお部屋に迷い込んだ蛍が、淡い光を放っています。
3月までたくさんお花を咲かせてくれた梅の木に綺麗な実がたくさんつくと、そろそろ梅仕事の季節到来です。白梅でお出しする自家製の梅酒作りは楽しみでもありますが、大仕事。
まず何が大変かというと、白川沿いの梅の枝がみな川の方へ伸びていること。つまり梅の実も川の上にあるのです。木が水分を求めて川の方に枝が伸びるのか、と思っていましたが、庭師さん曰く、川面に反射する太陽の光を本当の太陽と間違えて川面に枝が伸びていくそうです。
確かに川沿いの桜もみな水の方へ傾いていますね。
さてそんな梅の実をどうやって収穫するかといいますと、数人がざるを持って川の中に入り、上からほかのスタッフが箒の柄や物干しざおで木の枝を揺すり、ぽたぽちゃんと次々落下してくる実をまるで野球のノックのようにキャッチするわけです。
貧乏症か狩猟本能か、梅の実一個も逃すまいとつい必死になって、うっかり足を取られてびしょぬれになる者あり、(私ですが)毎年大騒ぎです。
収穫した実で仕込んだ梅酒は、うちの厨房の下にある防空壕で2~3年ゆっくりと発酵、熟成されてようやくお客様にお出しできるようになります。防空壕は温度と湿度が一定なので保存には最適で、うちではワインセラーとしても使っています。
梅酒を作った後の梅の実も、つぶして煮て梅ジャムに。お客様ご朝食のパン食のときお出していますが、甘酸っぱくておいしいと好評です。
可憐な花と良い香り、実は梅酒に、そしてジャムにされて種一つになるまでしっかり楽しめる、梅はほんとうに素晴らしい!
梅仕事が終わるとそろそろきものも衣変え、裏地のある袷(あわせ)のきものから裏地のない一重のきものになりますが、1枚裏がないだけで、とても軽く涼しく感じますね。帯も織物などの重厚感のあるものから『染め』とよばれる爽やかなものへ。
帯締め、帯揚げも夏ものに変わり、だんだん心も夏への準備が整っていきます。
家も夏のしつらえに模様替え
同じように家の中も衣替え、建具と呼ばれるふすまや障子を夏の『葦戸(よしど)』に変えていきます。葦戸の材料は葦‟あし”ですが‟悪し”に音が通ずることから‟よし”と呼ぶそう。
『京都の家は夏を旨として作る』といいますが、エアコンもない昔、京都の夏の蒸し暑さをしのぐためにせめて見た目は涼やかに開け放しでなくて、‟透けて見える、見えそうで見えない”日本の美意識ですね。
ただ古い家は、瓦屋根の重みで天井が下がってきていたりして、建具もそれぞれ微妙に寸法が違っており、それぞれ場所が決まっていて別のところには入らないようになってしまっています。
うちのような小さな家でも大小合わせて80枚ほどの建具があるので1枚でも場所を間違うと大変なことに……美しさを保つには努力が必要ということですね。
水無月を食べてリセット
そろそろお菓子屋さんでも季節のお菓子、水無月を見かけるようになって参りました。三角形の形をしたお菓子は夏の病除けです。
旧暦の6月、水無月は今でいう8月頃にあたり、鴨川の水も枯れ、夏の疫病が流行ったそう。特効薬は氷を食べる事、だったそうですが冷蔵庫もない頃、暑い時期に山の洞穴に貯蔵していた氷を食べられるのは天皇様と宮中の高貴な方一握りでしたから、町衆は氷を模してお餅を三角に作り、上に鬼を祓う小豆を載せて頂いたのが始まりと言われています。
1年のちょうど半分の6月30日に水無月を食べて、神社で茅の輪をくぐれば半年分の罪汚れがリセットされるそう。
なんと素敵な京都システム!活用しない手はありませんね。是非すがすがしい気持ちで、後半戦も健やかに気張りましょう。
奥田朋子(おくだ ともこ)/料理旅館白梅 女将
1965年京都生まれ。1989年全日本空輸株式会社にCAとして入社。
1997年より若女将として、2017年より女将として料理旅館白梅を経営し、2017年より祇園新橋景観づくり協議会会長として京都、祇園の街づくり活動にも積極的に参加している。
文/奥田朋子
【画像】料理旅館白梅
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