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師走の祇園“女将の祇園つれづれ日記”【きょうとくらすコラム】

祇園白川沿いの風情ある場所にたたずむ料理旅館白梅。老舗の格式、きめ細やかなおもてなしで、国内外から高い評価を得ています。

その人気旅館の女将から見る祇園の景色を『きょうとくらす』で毎月1回、コラムでお届けします。

画像:料理旅館白梅

師走の祇園

祇園新橋の辰巳大明神でお火焚き祭が終わると、すぐに冬の気配。白川沿いの石畳に、紅葉や赤く染まった桜葉が舞い始め、朝方吐く息の白さや、水の冷たさに冬の訪れを感じる頃となりました。

第3回目の前回は、楽しく快適に旅館で過ごすコツをお話させて頂きました。

今回は年の瀬も迫った祇園の風物詩と私の淡い恋の思い出を綴ります。

画像:料理旅館白梅

お火焚き祭は江戸時代から京都で行われている神事で、秋の収穫に感謝し、またお願い事を書いた護摩木を火床に入れて焚き上げる行事で、一緒にみかんを火床で焼き、それをいただくと風邪をひかないといわれています。

たしかにビタミンCと神様の火ですから効果がありそう。でも子どもの頃は焼きみかんの苦みが嫌で、「生のままの方がええのになあ」となるべく焦げてないみかんをもらっていました。

今から考えると「ご利益逃がしてるやん」と思うのですが。

お稲荷さんに集合な!

辰巳大明神は祇園新橋のシンボル的な存在で、その横の巽橋とともに京都らしい風景としてご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。
地元では祇園のお稲荷さん、と呼ばれています。

日本ではそれぞれの方角に干支の動物がいて、辰(龍)は東南東、巳(蛇)は南南東、辰巳は東南、つまり京都の中心、天皇様のおられる御所から見て東南の方角にある社というのが名前の由来だそう。

ご祭神は小さな白蛇さまで、白蛇は芸能の神様の吉祥天女のお使いだったことから、芸事の上達の神様として、祇園町の芸舞妓が芸の上達をお願いする社です。

画像:料理旅館白梅

そんな小さくも由緒正しきお社ですが、子どもの頃は恰好の遊びのランドマーク。小学校から帰って、家にランドセルを放り込むと、そのまま「お稲荷さんに集合な!」でした。

缶蹴り、くつ隠し、ゴム飛び、などなど暗くなるまでお楽しみはいっぱいです。「だるまさんが転んだ」は関西では「ぼんさんが屁をこいた」で、フルフレーズは「ぼんさんが屁をこいた、においだら臭かった」……って誰が考えたんでしょう。

子ども心にもお坊様は特別な存在だったので、それを茶化すのが余計に面白かったんですね。

初恋の人

お坊さんイメージ
画像:SA555ND/PIXTA(ピクスタ)

私は幼稚園が永観堂幼稚園で、遊び場がお稲荷さんと建仁寺さんでしたからまさに寺社仏閣は生活の一部でした。

初恋の相手も建仁寺の修行僧。背が高くてキリッとして格好良かったなあ。
私は5歳、お坊様は25歳くらいだったでしょうか…? すっかり一目惚れです。

毎日せっせと建仁寺さんへ通う私に、師走のある日、母が「そんなに毎日会いに行くんやったらお布施を持っていきよし」と林檎を渡してくれました。

それをお渡しした時の彼の笑顔に、またときめき、次の日はミカン、その次の日はお米、お香とせっせと貢ぐ日々。ところがある日、母がまた林檎を渡してきたのです。

私は毎日違うものを持っていって、彼に飽きられない様にしたいのに、母は「同じものでも全然ええんよ、お坊さんは好き嫌いしはらへんわ」ととりあってくれません。

確かにお布施を選り好みすることは仏の教えに反し、それがぼろ布でもごみでも有難くいただき活用するのがお寺の生活であり修行……。

わかってはいるけれど、彼の喜ぶ顔が見たくて「本当に彼が好きなものをお布施にしよう!」と幼心に決意し、まず彼をよく知るために、と境内の木の後ろに隠れて彼を観察することにしました。

その頃、お寺には野良猫がたくさんいたのですが、彼は動物好きで野良猫にも優しく、そしてとても嬉しそうでした。

あなたの笑顔が見たくて…

画像:料理旅館白梅

さて私の考えたお布施は何でしょうか、そう、猫です。5歳児の恋のパワーもなかなかなもので、兄に協力を要請し、怒ってシャーする野良猫を大小5匹、箱に詰めリボンまでかけて、「今日のお布施です!」と自信満々に彼にお渡ししました。

もちろんお坊様はお布施を断ることはできませんから、にっこり笑って「いつも有難うございます」と言ってくださいました。

……ああ、後から「大変やったろうなあ」と、今となっては恥ずかしい限りですが。

人懐こい三毛猫
画像:K,Kara/PIXTA(ピクスタ)

師走が過ぎ新年を迎え彼は修業を終え、遠い自分のお寺へ帰ってしまわれ、私の片思いもはかなく終わりました。建仁寺さんを取り抜けるたび、今でも「彼が師走の猫のお布施を覚えていると嬉しいなぁ」と思います。

いや、忘れられへんか、そんなお布施。

南座に顔見世のまねきが上がり、芸舞妓の年の瀬の挨拶まわりの「おことうさんどす」(お事多さんどす)忙しゅうなりましたなあ」の声が聞こえるのももうすぐ。

どうぞ来年もよい年になりますように。

奥田朋子(おくだ ともこ)/料理旅館白梅 女将

1965年京都生まれ。1989年全日本空輸株式会社にCAとして入社。
1997年より若女将として、2017年より女将として料理旅館白梅を経営し、2017年より祇園新橋景観づくり協議会会長として京都、祇園の街づくり活動にも積極的に参加している。

文/奥田朋子

【画像】料理旅館白梅
PIXTA(ピクスタ):SA555ND/K,Kara