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春は大徳寺の本坊へ! 期間限定の解説付き「伽藍特別公開」が開催

KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年4月2日(日)に放送された戦国武将や茶の湯ゆかりの大徳寺の特別公開の内容を、歴史秘話と合わせてご紹介します。

大徳寺特別公開概要

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

京都・紫野の大徳寺は、『一休さん』こと一休宗純を始め多くの名僧を輩出してきた臨済宗大徳寺派の大本山です。千利休や狩野探幽など日本文化に多大な影響を及ぼした人物たちが活躍した場所でもあります。

本坊の伽藍や塔頭寺院の多くが通常非公開ですが、2023年は4月27日(木)~6月4日(日)の期間、本坊・伽藍が特別に公開されることとなりました。
国宝『唐門』や、狩野探幽の雲龍図で知られる重文『法堂』、重文『金毛閣』が解説付きで拝観できる貴重な機会です。さらに、重文『仏殿』が再建以来初公開となり、中の本尊にもお参りできます。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

大徳寺は、JR京都駅から市バス『大徳寺前』下車すぐにあります。

正和4年(1315年)に播磨国の豪族・赤松円心の援助により紫野の地に小庵『大徳庵』を建立したことが始まり。小さな庵が大寺院となったのは、禅に傾倒した花園上皇と後醍醐天皇が開山・大燈国師に帰依したためです。皇室の祈願所となり『大徳寺』と改めました。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

毎年春に期間限定でいくつかの塔頭寺院で特別公開が行われます。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

さらに2023年4月27日(木)~6月4日(日)の期間、本坊の伽藍が特別に公開されることとなりました。(※内容は変更になる場合があります)

それでは、普段は立ち入ることのできない本坊 伽藍特別公開の見どころをご紹介します。

千利休切腹の原因となった「金毛閣」

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

茶の湯の歴史と深い繋がりがあることでも知られている大徳寺。特に有名なのが、千利休が切腹をする原因となった重文・三門『金毛閣』。特別公開の大きな見どころの一つです。

『金毛閣』は、連歌師・宋長が一階部分を寄進。その60年後の天正17年(1589年)に千利休が二階部分を建立。『金毛の獅子』という言葉があり、殺気に満ちた金毛の獅子と同じぐらいの覚悟を持って下化衆生しなければならないという意味で名づけられたそうです。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

この規模の楼門の建設は国家的事業というのが当時の常識の中で、個人の寄進で『金毛閣』はできました。創建当初は国立の寺院として大伽藍が整備された大徳寺でしたが、室町幕府は『京都五山』から大徳寺を除外。これを機に大徳寺は『林下』と呼ばれる在野の道を自ら選びました。

こうして幕府からの公的な援助が途絶えることになり、応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱では伽藍も焼失。この窮地を救ったのが『一休宗純禅師』でした。一休禅師は大徳寺の住職となり多くの弟子・信者に慕われました。そこには貿易で栄えた堺の商人たちも数多く含まれおり、その中の一人、豪商・尾和宋臨が大徳寺復興の資金主となりました。一階部分を寄進した連歌師・宗長も一休禅師に傾倒した一人です。

さらに侘茶の祖となった村田珠光が大徳寺と茶の湯の結びつきを深め、堺出身の茶人・『千利休』へと繋がっていきます。千利休が歴史の表舞台に登場したのは、1579年。茶頭として織田信長に召し抱えられました。信長亡き後、豊臣秀吉に仕え、大徳寺で信長の葬儀が営まれたことから秀吉や豊臣方の戦国大名も援助を惜しまず「紫野に非ずんば仏法に非ず」と言われるほど、大徳寺は隆盛を極めました。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

その象徴となったのが三門『金毛閣』です。千利休は私財を投じて2階部分を寄進。楼上には千利休の木像が安置され、天下第一の茶人としての名を不動のものとします。

しかし、この木像が秀吉の怒りを買いました。秀吉も潜る三門の上に雪駄履きの木像を置くのは不遜であり無礼であると断罪され、切腹することとなりました。

今回の特別公開では、金毛閣内部は公開されないため利休像はご覧になれません。しかし、数々の歴史上の偉人も通ったこの三門を特別に潜ることができるのです。

358年目の初公開「仏殿」と“幻の京都大仏”を表す「本尊」

『仏殿』は一休禅師が住職を務めていた室町時代後期に堺の豪商・尾和宋臨によって再建。さらに江戸時代の前期に京都の豪商・那波屋常有によって建て替えられたものです。

これまでも日中正面の扉はあけられていましたが、堂内に入って、本尊や天井図を見ることができるのは再建以来358年目にして今回が初めてとなります。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

本尊・釈迦如来坐像は、京都・東山区の方廣寺の大仏を10分の1に縮小したものと言われています。方廣寺の大仏は“幻の京都大仏”と呼ばれ、初代は豊臣秀吉が造営し、奈良東大寺の大仏を超える巨大な仏像でした。しかし慶長伏見大地震で倒壊。その後造られた2代目も江戸時代前期の地震で破損してしまいました。

そして、3代目の方廣寺大仏が仏師・玄信によって製作された際、その試作を兼ねて10分の1サイズの仏像が造られたのが大徳寺の本尊です。徳川家綱の尽力によって大徳寺に寄進されました。3代目の方廣寺大仏は江戸時代後期に落雷によって焼失しましたが、その姿を本尊・釈迦如来坐像によって想像することができます。

本尊を祭る須弥壇は龍や麒麟など聖獣の彫刻が施された豪華な造り。その細工の細かさに驚かされます。また、天井に描かれているのは軽やかに空を舞う天龍。狩野元信の作と伝わっています。

今回の特別公開で堂内に入った際には、本尊・須弥壇・天井図をぜひ間近でご覧ください。

狩野探幽作 天下一と言われる「鳴き龍」のある「法堂」

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

江戸時代の天才絵師・狩野探幽の描いた天井画、雲龍図で知られる『法堂』に向かいます。法堂は応仁の乱によって焼失し、寛永13年(1636年)に小田原城主・稲葉正勝の遺志により息子の正則が現在の場所に再建しました。

本尊を祭る仏殿に対し、この法堂には仏像などがありません。中央にある須弥壇には住持(住職)などが登り、修行僧に向かって法を説く、教えを継ぐ神聖な場所です。

この天井には、狩野探幽が35歳の頃に描いた『雲龍図』が睨みをきかせています。水神である龍を描き火災からお堂を守るため、そして龍は仏法を守る護法神であることから、この雲龍図が描かれました。

この龍は天下一の『鳴き龍』とも呼ばれています。堂内で拍手をすると反響し、鳴き声のような余韻が聞こえます。反響するのは、説法する僧侶の声が広く届くように伽藍内部が設計されているためと考えられています。

特別公開で最後に向かう国宝「唐門」

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

特別公開の最後に向かう国宝『唐門』は豊臣秀吉の邸宅として建造された聚楽第(じゅらくてい)の遺構と考えられています。元々は明智光秀寄進の門が建っていましたが南禅寺に移築され、代わりにこの唐門が移されてきました。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

この門は西本願寺・豊国神社と並んで“桃山の三唐門”の一つに数えられます。二本の本柱の前後に控え柱が建てられている四脚門です。全てに丸柱が用いられ、その足元には金具に見せた浮き彫りが施され格の高さと意匠の奥深さをうかがい知ることができます。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

門の上部には極彩色に彩られた飾り彫りが。龍や麒麟、鶴などが隙間なく配置され、正面奥には松に孔雀が圧倒的な存在感でデザインされています。

画像:KBS京都『京都浪漫 悠久の物語』

黒漆の上に金メッキの施された菊などの飾り金具がおびただしい数打たれ、見ごたえのあるこの門は一日中眺めても飽きないことから“日暮門”の異名も持っています。劣化が進んだことから2000年から修理を実施され、当時の輝きがよみがえりました。日光東照宮・陽明門のモデルにもなったとも言われています。

大徳寺には大燈国師の教えと壮大な歴史背景が受け継がれています。春の特別公開にぜひ皆さんも足を運んでみてください。

文/きょうとくらす編集部

【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年4月2日(日)放送時点の情報です。