KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年12月10日(日)に放送された『京都八幡の歴史秘話~石清水八幡宮・松花堂庭園・神應寺・飛行神社~』から『石清水八幡宮』をご紹介します。
本社10棟が国宝・石清水八幡宮
京都府八幡市、男山の山上に『石清水八幡宮』があります。
本社まで歩いて行くには、一ノ鳥居、二ノ鳥居を通り、『七曲がり』と呼ばれる折れ曲がった箇所をはじめ、長い石段が山上の三ノ鳥居まで続きます。健脚の方でも15分ほど、ゆっくり登れば30分はかかる道のりになります。
車で山上まで行く道もありますが、『石清水八幡宮参道ケーブル』の利用もおすすめ。ケーブル八幡宮山上駅のすぐ近くには、京都随一の絶景ポイントと言われる男山展望台も。
帰りは表参道、もしくは裏参道を歩いて下りたいという方は、社殿に向かう前に“展望台”に立ち寄り、京都市内を一望できるパノラマビューを楽しんでおくのもおすすめです。
石清水八幡宮の社殿までは、京阪本線『石清水八幡宮』駅で下車、隣接する参道ケーブルでおよそ3分、『ケーブル八幡宮山上』駅で下車、徒歩およそ5分です。
三ノ鳥居を越え、南総門に到着。南総門から本社の社殿を見ると少し西側を向いているのが分かります。これは、参拝して帰る際、参拝者が神さまに対して真正面に背を向けないようにするためと言われています。
本社の造りは、八幡造形式の本殿と、前面に連なる幣殿(へいでん)および舞殿(ぶでん)などを瑞籬(みずがき)と廻廊で囲み、緊密に一体化したものです。平成28年(2016年)には国宝に指定されました。
徳川家光が造営した社殿
現在の社殿は、江戸幕府3代将軍・徳川家光が造営したもの。まず、正面に位置するのが楼門です。
蟇股の金色の装飾部分には金色の2羽の鳩が見えます。右の鳩だけ口が開いており、“阿吽の口”と言われています。元々は仏教のものであり、石清水八幡宮は昔、宮寺として栄えていたためお寺の名残も残しているそうです。
その2羽の鳩の上に、極彩色の壮麗な龍と虎の欄間彫刻が施されています。
龍と虎といえば、四方を守る神様。それに倣うと、東側が青龍、西側が白虎ですが、不思議と逆側。諸説ありますが家光は辰年生まれ、家康は寅年生まれで、神社では右手が上座となるため、上座に家康の虎を置いたのではないかと伝わっているそうです。
徳川家光は、徳川家の家紋である『三つ葉葵』を、参拝者からは見えない楼門の内側に彫らせたのだとか。神様の真正面にあたる位置に家紋を彫り、徳川家が本社を建てたということを神様にご報告しているのではないかと伝わっています。
昇殿参拝の入り口になっている東門、東門から楼門への回廊など、回廊3棟も国宝。また、楼門の北側、本殿との間に建つ幣殿と舞殿も国宝です。
本殿は、桁行十一間の内殿と外殿を前後に並べて複合させた八幡造りになっています。
聖域である本殿の周囲に廻らせた垣根・瑞籬(みずがき)も社殿の建物と合わせて国宝。さまざまな動植物などを主題とした極彩色の欄間彫刻が見事です。
祇園祭の蟷螂山でお馴染みの『蟷螂(かまきり)』の彫刻や、花札でお馴染みの『鹿とモミジ』などが見られます。
国宝の西門の蟇股にある彫刻は、左甚五郎作と伝わる『目貫きの猿』。右目に釘が刺さっているのは、彫刻に命が宿り、猿が逃げ出してイタズラをし、それを見かねた神主が釘を刺すことで魂を封じたと伝わっています。
織田信長が雨樋を黄金にした理由とは
名だたる戦国武将も参拝に訪れた石清水八幡宮ですが、中でも有名なのが織田信長です。信長が奉納したと伝わるのが『黄金の雨樋』。
石清水八幡宮は『八幡造り』で2棟が連結した形となっており、自ずと屋根に谷が生まれます。雨樋を敷かなければ雨水などが浸水してしまうため、織田信長が「一生使える雨樋を」と奉納したと伝わっています。
この雨樋に金箔を施したのは傷みにくくすることと、もうひとつ理由があります。信長は雨樋を奉納する際に神主に「今度修造する際は黄金製の雨樋を売ることで換金し、次の修造費に充てよ」と述べられたのだとか。
徳川家光・織田信長ともゆかり深い石清水八幡宮。国宝に指定された建造物の迫力を、ぜひ感じてみてはいかがでしょうか。
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文/西門
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年12月10日(日)放送時点の情報です。