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祇園蝉しぐれ“女将の祇園つれづれ日記”【きょうとくらすコラム】

祇園白川沿いの風情ある場所にたたずむ料理旅館白梅。老舗の格式、きめ細やかなおもてなしで、国内外から高い評価を得ています。

その人気旅館の女将から見る祇園の景色を『きょうとくらす』で毎月1回、コラムでお届けします。

料理旅館白梅_女将
画像:料理旅館白梅

第12回の今回は、京都ならではの夏の風情についてお話しします。

夏の京都

祇園白川は今日も朝から蝉の大合唱、最近はクマゼミが多くなり声が大きいので、お客様も“蝉の声で目が覚めた”とおっしゃる方が多く、天然の目覚まし時計になっています。

そんな祇園の8月は、1日の行事 「八朔 はっさく」で始まりました。
八朔は八月朔日(1日)の事で、祇園の芸舞妓がお師匠である京舞井上流家元の井上八千代さんやお世話になっているお茶屋さんにご挨拶に伺う日。
「おめでとうさんどす。どうぞ相変わりませずお頼申します。」の声が響く夏の祇園の風物詩です。
もともとはこの頃に早稲の稲穂が実るので、農家の間で恩のある人に稲穂(田の実)を贈る風習がありそれが、(頼み)に転じてお世話になっている方に変わらぬお付き合いを頼む日になったのだとか。
関西のお中元は8月1日からなのもこの理由だそう。

夏の黒紋付を着るのはほぼこの日1日だけなのですが、舞妓のだらりの帯を締めると
7~8キロの重さ、冬の黒紋付だと10キロにもなりますから、それを身に着けて軽々と動き、舞をする彼女たちの筋力、体力には驚かされます。日々の精進のたまものですね。

「彼女たちは汗かかないの?」とよく聞かれるですが、汗を流している芸舞妓さんは確かに見ません。話によると脇の下に汗のツボがあり、大きな長い帯をぎゅっと締めると そのツボが押されて、顔は汗をかかないそうですよ。

画像:料理旅館白梅

京の風物詩

京都の夏を彩る五山の送り火。バイクでお坊さんが町中を忙しそうに走り出し、蓮の花やホオズキを花屋の店先に見かけると、いよいよ送り火の始まりです。

当日は宿のお客様も、皆ご夕食を早々に召しあがってお出かけになられますから、 一時静かになった館内の、3階の物干し台から見える大文字に手を合わせます。逝去された方を思う大切な私の夏の一区切りです。

特に思い出すのは白梅をお茶屋から宿に変えた祖母のこと、明治生まれの女丈夫でした。
私の祖父に当たる人は、丹波のお坊ちゃんでどうしようもなかったらしく、祖母は私の母や叔父、子供3人を女手一つで育て上げ、旅館を経営しつつも、第2次大戦後すぐに「これからは車の時代や!」と言いだし自動車教習所も設立経営したパワフルな人でした。

旅館の玄関の橋も実は祖母が勝手にかけたもので、大阪空襲の後、次は京都が狙われると噂が立ち、祖母と隣のお茶屋のお母さんと「非常用の出口作ろう」と相談したそうです。寺の鐘まで供出させられるような物資不足の時代で、材料の調達にも苦労しながら作ったという逸話が残っています。

画像:料理旅館白梅

ちなみに…白梅の坪庭と玄関には昔の三条大橋の擬宝珠があるのですが、これもどうやら祖母が一枚噛んでいるらしく…白梅にお越しの際はぜひご覧になってくださいね。

画像:料理旅館白梅

祖母は躾に厳しい人でしたので、私はやんちゃでかなり怒らせました。はじめは 「そんなことしてたら‟やいと”すえるえ!」と警告。
“やいと”とはお灸の事ですが、それでもいうこと聞かないと、つぎは戦時中に作られた地下の防空壕に放り込まれました。白梅の防空壕は2畳ほどの小さなものですが、やはり女性が多かった祇園町では万が一の時に備えて大阪空襲の後に用意したお茶屋が多かったようです。
この防空壕、夏は涼しく、冬は暖か、漬物とか発酵食品、今はワインセラ―として大活躍ですが、当時そこに放り込まれてもお漬物を勝手に開けて食べていたのでまた怒られたのも、今では良い思い出です。

夏休みの楽しみ!?

画像:料理旅館白梅

夏のイベントの締めくくりは町内にある子どもの守り神、お地蔵さんを囲んで地蔵盆。
子供が主役の行事でしたので、尼さんのお読経、数珠回しの後はお菓子を食べたり、ジュースを飲んだり福引にゲーム、相撲大会と楽しみいっぱいの1日でした。

翌日や翌週には、町内総出で近くの温泉施設へ行くなど町内のコミュニケーションの大切な場です。それは今も変わりませんが、昨今は少子化ですっかり大人の社交場となっています。ただやはり地蔵盆で町内の人に会うと子供の頃に戻ったような懐かしい気持ちになります。

今の福引は、町内の飲食店の無料招待券福引など豪華です。飲食店の多い祇園町らしい福引で今年はどこが当たるか今から楽しみです。もうすぐ蝉の声もカナカナ・・とひぐらしの声が混ざり、夜は虫の声が響くようになります。

立秋ももうすぐ、どうぞ暑さに負けないよう盛夏の京都をお楽しみください。

奥田朋子(おくだ ともこ)/料理旅館白梅 女将

1965年京都生まれ。1989年全日本空輸株式会社にCAとして入社。
1997年より若女将として、2017年より女将として料理旅館白梅を経営し、2017年より祇園新橋景観づくり協議会会長として京都、祇園の街づくり活動にも積極的に参加している。

文/奥田朋子

【画像】料理旅館白梅
※画像はイメージです。