KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
2023年4月9日(日)に放送された『谷崎潤一郎が愛した京都~神護寺・曼殊院門跡・石村亭・法然院~』を、全5回に分けてご紹介します。
谷崎潤一郎が愛した京都~神護寺・曼殊院門跡・石村亭・法然院~
- 第1話 「細雪」で描かれる桜
- 第2話 神護寺で記された「春琴抄」
- 第3話 曼殊院門跡で学び「少将滋幹の母」へ
- 第4話 「夢の浮橋」の舞台、潺湲亭(現 石村亭)
- 第5話 「瘋癲老人日記」に描かれた谷崎と法然院
京都市左京区にある法然院
文豪・谷崎潤一郎が亡くなる4年前・75歳の時に口述筆記で出版した『瘋癲老人日記(ふうてんろうじんにっき)』は自分の老いや死期が近づいているのを意識しながら、それさえも俯瞰してユーモラスに描いた作品です。
その中に登場するのが京都市左京区の法然院です。
法然院は市バス・南田町のバス停から徒歩およそ5分、浄土寺のバス停から徒歩およそ10分です。
この地は法然上人が弟子の住蓮・安楽とともに、昼夜に阿弥陀仏を六度拝む『六時礼讃(ろくじらいさん)』を勤めた旧跡でした。
ほぼ廃絶していたものを江戸時代初期に知恩院第38世・万無(ばんぶ)上人と弟子・忍微(にんちょう)が再興しました。
風情のある茅葺きに数寄屋造りの山門や、
白砂壇(びゃくさだん)と呼ばれる盛り砂が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
池にかかった小さな橋は、手前が現世、向こう側は来世の極楽浄土を表します。
2019年にはガラス作家・西中千人さんにより、ガラスアート枯山水『つながる』が作庭されました。
本堂は1681年に客殿造りのお堂が完成し、1688年の再建のときに仏殿と拝殿が建てられました。
谷崎潤一郎が自ら作庭した墓所
ここには谷崎潤一郎のお墓があります。昭和36年の春、『瘋癲老人日記』の口述を開始する3か月前に、墓所を法然院に決めました。この頃はまだ元気で毎年春と秋に京都を訪れており、『瘋癲老人日記』には谷崎自身がモデルとされる卯木(うつぎ)老人が京都に墓地を求める様子も描かれています。
小説の中で卯木老人は息子の妻・颯子(さつこ)を連れて京都へ行きあちこちの名刹を見て回った末に法然院を墓所とすることを決めました。
颯子のモデルとなったのは、谷崎潤一郎の妻・松子の長男の妻・渡辺千萬子です。
千萬子は哲学の道に桜を植えた日本画家・橋本関雪の孫として京都に生まれ、『潺湲亭(せんかんてい)』で、谷崎潤一郎やその家族と4年間暮らしました。
法然院の墓地は千萬子の同級生が住職の夫人だった縁で譲ってもらえ、大変気に入った谷崎潤一郎は自ら選んだ自然石と桜で墓所を作庭しました。
左側の“寂”と書いているのが谷崎のお墓で、右の“空”と書いてあるのが松子の妹夫婦・渡辺家のお墓です。
千萬子は法然院の近隣に住み、自らの渡辺家墓と、谷崎家の2軒のお墓を墓守として守ってきました。
谷崎は平安神宮の枝垂れ桜が好きで、自分のお墓の横に小さな枝垂れを植えましたが、今では見上げるように大きくなっています。今も春になると美しく咲き誇ります。
『源氏物語』を訳し、『細雪』を書き継ぎと人生の収穫の季節を京都で過ごした谷崎はこの街を愛しました。ゆかりの地を巡り、今も残る美しく景色や文化に触れてみると谷崎文学の新たな魅力に気付けるかもしれません。
文/きょうとくらす編集部
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年4月9日(日)放送時点の情報です。