KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年9月10日(日)に放送された『仏師と訪ねる国宝阿弥陀如来像~仁和寺・青凉寺・法界寺~』から『法界寺』をご紹介します。
「日野薬師」とも呼ばれる法界寺
平安時代から仏像制作の中心であり続ける街、京都。市内に工房を持つ仏師・三浦耀山さんも仏像づくりの伝統技術を受け継ぐ一人です。
仏師・三浦さんと訪れたのは、京都市伏見区にある法界寺。藤原氏の流れをくむ名家、日野家の菩提寺です。
法界寺までは、地下鉄東西線『石田』駅から徒歩およそ20分。京阪バス『日野薬師』のバス停から歩いてすぐです。
平安時代の永承6年(1051年)に、伝教大師最澄が彫ったと伝わる小さな薬師如来像を胎内に収めた薬師如来立像を本尊として建立されたことから『日野薬師』の通称があります。
薬師堂に祀られている本尊が胎内仏ということから、安産や子授けなどのご利益があるとされ、古くから特に女性の信仰を集めてきました。
いつの頃からか参拝者が願いごとを書いたよだれ掛けを奉納するようになり
薬師堂外陣の格子戸は、よだれ掛けでびっしりと覆われています。
通常非公開の薬師堂の内陣
通常非公開の薬師堂の内陣を今回特別に撮影させていただきました。須弥壇中央の厨子の中には、本尊の薬師如来立像と脇侍の日光菩薩像、月光菩薩像が安置されています。左右の厨子には十二神将が安置されていますが、いずれも秘仏でめったに公開されることはありません。
法界寺創建の折りに造られた本尊・薬師如来立像のお姿がこちら。およそ88cmで右手は平安時代初期の印相・施無畏印を結び、左手は掌に薬壺をのせています。
法界寺は戦乱や火災で多くの堂塔を失い、境内に残る古い建物は室町時代の建物を移築した本堂の薬師堂と鎌倉時代に再建された阿弥陀堂のみです。
国宝・阿弥陀堂
国宝・阿弥陀堂は、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて各地に建てられた典型的な阿弥陀堂建築を今に伝える貴重な建物。藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想などの影響を受けています。
堂内に安置されているのは国宝・阿弥陀如来坐像。平安時代後期の仏師・定朝の流れをくむ定朝様の仏像ですが、作者は誰か明らかではありません。
「穏やかなお顔立ちに、薄めの胸厚で、ゆったりとした弥陀定印を組んであり、衣紋の流れもシンプルで優雅。常々掘りたいと思っているようなお像です。」と三浦さん。
記録によると平安時代後期、法界寺には5体の阿弥陀像が安置されていました。しかし、鎌倉時代の承久3年(1221年)、承久の乱による火災で4体は焼失。唯一1体、救い出されたのがこの阿弥陀如来坐像です。
堂内の装飾に国宝たる所以を感じることができます。阿弥陀如来坐像の頭上、折上組入格天井に吊されているのは大天蓋。
内陣の漆喰壁12面の内10面には、散華しながら空中を舞う天人の姿が彩色も鮮やかに描かれています。
内陣の外側に描かれているのは、心静かに定印を結ぶ阿弥陀如来の姿。また、四天柱には金剛界曼荼羅の64体の仏像と、唐草模様の一種、宝相華文様が描かれるなど、堂内には細やかな意匠が散りばめられています。
さらにもう一つ、堂内には注目すべき点が。常行堂といい中央に阿弥陀如来が安置されていて、その周りをぐるりとお参りすることができます。
「後ろから見られることを意識しているなというのが光背から分かります」と三浦さん。後ろからも阿弥陀如来坐像を拝見でき、背面の繊細な意匠も見ることができます。
京都に遺る数多くの阿弥陀如来像の一つ一つにそれを彫った仏師の思いが込められています。皆さんもぜひ、国宝の阿弥陀如来像の前で心静かに手を合わせてみてくださいね。
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文/きょうとくらす編集部
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年9月10日(日)放送時点の情報です。