舞鶴の海
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山を掻き分けて探す! 生活に欠かせない“水道”のルーツ【舞鶴市】

KBS京都で放送中の『きょうとDays』。
今回は、2023年9月21日(木)に放送された『ふるさと Days』コーナーから、市民の生活に必要不可欠な水道の歴史を探訪する男性をご紹介します。

舞鶴市の水道のルーツは、軍用水道?

舞鶴の海
画像:KBS京都『きょうとDays』

明治時代に、日本海側で唯一の海軍拠点である鎮守府が置かれた舞鶴市。以来、舞鶴は軍港ゆかりのまちとして発展してきました。

赤レンガパーク
画像:KBS京都『きょうとDays』

今でも『赤レンガパーク』など、その当時の名残が見られます。

舞鶴市水道整備課の神田秀之さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

そして軍港ゆかりのまちとしての遺構は、ほかにも。それが何なのか教えてもらうべく、舞鶴市上下水道部・水道整備課の神田秀之さんを訪ねました。

さっそく山の中に案内し、「ここは与保呂(よほろ)の水源地というところで、舞鶴市の上水道の始まりの場所です」と話す神田さん。

山中の水源地
画像:KBS京都『きょうとDays』

明治34年、海軍の鎮守府が舞鶴に置かれ、そこから初めて舞鶴に近代水道が整理され始めました。ここはその際、一番最初に造られた水源地なのだそうです。

桂取水堰堤
画像:KBS京都『きょうとDays』

神田さんに導かれ与保呂川に沿って歩みを進めると、水が勢いよく流れる美しい場所に辿り着きました。

こちらは、明治33年に作られた施設・桂取水堰堤(えんてい)です。

桂取水堰堤
画像:KBS京都『きょうとDays』

明治時代に、ここから初めて鎮守府に水が供給されました。その後始まった日露戦争によって、さらに水が必要になります。そこで堰堤の高さを1mほど積み上げて、貯水容量をそれまでのおよそ4倍にしたそうです。

水源地の説明をする神田さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

桂取水堰堤はコンクリートでできているそう。

「コンクリートにレンガを貼ったり石を貼ったりして作られています。当時はまだコンクリートそのものが日本に入ってきたところでしたから、セメントの製造やコンクリート製造物の設計・施工といった最新の技術が投入されたということがわかっています」と神田さんは話します。

桂取水堰堤
画像:KBS京都『きょうとDays』

この施設のすごいところは今も活きているということ! 桂取水堰堤は今も、舞鶴市内全体の供給量のおよそ1割にあたる一日6,000立方メートルほどの水を賄っています。

明治の近代化に合わせて、舞鶴市内にはほかにも多くの水源が作られました。

貴重な資料を発見! 自らの足で水道の遺構を調査

資料を閲覧する神田さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

神田さんは舞鶴高専卒業後、市の職員として働き始めました。水道業務に携わって30年余り。水道施設の維持管理、水道の図面の作成や、古い図面整理など、業務は多岐にわたります。

20代の頃から少しずつ整理してきたという図面は、今ではなんと1万枚以上にものぼります。

神田さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

そして今年2023年1月、神田さんはあるものを発見しました。

海軍の火薬・弾薬・砲弾などを製造する海軍施設だった舞鶴第三火薬敞(かやくしょう)の水道の配置図面らしきものが出てきたのです。

国立舞鶴高専水道工事図面
画像:KBS京都『きょうとDays』

さらに、青葉山の中腹にある杉山という地区から水をひいてきていたということを示す図面も発見しました。

山道を進む神田さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

「これはもう、現地行って確かめるしかない!」と、雪解けを待って、3月から休みのたびに地図とコンパスを片手に山の中を歩き、水道の遺構を調べたという神田さん。

幸田さんがまとめた本
画像:KBS京都『きょうとDays』

他にも市内に残る建造物を調査し、今年7月、その成果を一冊の本にまとめました。

山中にひっそりと眠っていた水道の源を訪ねる

海軍水道遺構の地図
画像:KBS京都『きょうとDays』

今年1月に発見した図面をもとに調査をしたという、箇所をいくつか案内してもらいました。

杉山地区から第三火薬敞まで、直線距離にしておよそ1.5km、標高差200mの間に残る建造物の数々です。

大杉神社
画像:KBS京都『きょうとDays』

幻想的な雰囲気が漂う場所に到着しました。

「ここは、杉山地区の大杉神社というところで、杉山水源の海軍水道の元の水源です」と神田さん。

取水井
画像:KBS京都『きょうとDays』

取水井(しゅすいせい)と呼ばれるこちらの水槽に湧き水を貯めているのだそう。耳を近づけると、湧き水が水槽に流れ込んでいる音が聞こえてきます。

この貯水槽は第三火薬敞の建設に合わせ、1941年頃に造られたもの。杉山地区では今もこの施設を利用していますが、その歴史や経緯を知る人は少ないといいます。

冷たい湧水に触る
画像:KBS京都『きょうとDays』

流れ出る水は、冷たく澄んだ名水です。

藪を掻き分けて進む
画像:KBS京都『きょうとDays』

そして、次の案内場所へ。整備されていない山の中をひたすら進んでいきます。ここを調査したというのは、登山が趣味だという神田さんだからこそできたものかもしれません……。

第一接合井
画像:KBS京都『きょうとDays』

藪を掻き分けて進むと、第一接合井(せつごうせい)という施設に辿り着きました。地面の下には、大きな水槽が。

第一接合井
画像:KBS京都『きょうとDays』

こちらは、水道管にかかる水圧を抑えるための施設です。神田さんは山の中を彷徨い歩いて、ついにこの施設を見つけたそう。

その時のことを、「つい小躍りしてしまうくらいうれしかったです。山の中にこんな大きい構造物が造られて、しかもそれが残ってるということに、ものすごく感動しましたね」と振り返ります。

杉山水源水道の地図
画像:KBS京都『きょうとDays』

その他にも3つの接合井があり、また下流には浄水場が発見されたことから、当時は飲料水として使われていた可能性が高いこともわかってきました。

神田さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

「海軍水道ですから、元々は軍用ですよね。戦争の力を表す施設だろうと思うんですけれど、その一方で、そこには大変な技術力、人の知恵とか努力とか、その当時携わった人たちの力が結集された施設。」と神田さん。

さらに、「海軍水道施設が市に移管されてから、それをベースに今の舞鶴市の水道が整備されていきました。この施設が私たちの生活を今作ってきたベースになっていると感じ取ることができますね」と、話していました。

水道遺構について説明する神田さん
画像:KBS京都『きょうとDays』

今も、舞鶴市民の暮らしを支える水道の歴史を調査し続ける神田さん。次はどこに足を運ぶのでしょうか? 神田さんの舞鶴水道探訪は、これからも続きます。

自分の目で足で歴史を紐解いて、これからの豊かな生活に繋げる、熱意のある仕事ぶりに心を打たれますね。

関連記事:これまでの「ふるさとDays」はこちら!

文/ななえ

【画像・参考】きょうとDays(毎週月~金曜日17:35~18:00) – KBS京都
※この記事は、2023年9月21日(木)放送時点の情報です。