コラム

祇園のひな祭“女将の祇園つれづれ日記”【きょうとくらすコラム】

祇園白川沿いの風情ある場所にたたずむ料理旅館白梅。老舗の格式、きめ細やかなおもてなしで、国内外から高い評価を得ています。

その人気旅館の女将から見る祇園の景色を『きょうとくらす』で毎月1回、コラムでお届けします。

料理旅館白梅_女将
画像:料理旅館白梅

宿の前の白梅が咲き、祇園白川にも春の気配の漂うようになりました。
今年の開花は私が生まれてから(何年?)一番遅い2月17日の開花。去年は暖冬で、12月31日の大晦日には花が開き、「お正月からめでたいな」と思っていたら梅の実がえらい不作でした。
受粉させる虫が飛んでない時に花が満開になってしまい、早く花が落ちてしまったのが原因だそう。やはり何でも頃合いというのが大切なんですね。

子どもの頃のひな祭り

画像:料理旅館白梅

梅の花が咲くともうすぐひな祭り。芸舞妓文化が根付き、女性の活躍が際立つ祇園にとって、ひな祭は、跡継ぎとなる女の子の幸せを祈る大切な行事です。

お内裏様とお雛様、三人官女に五人囃子、左大臣に右大臣と薄紙に包まれたお人形を箱から出すのは大変ですがワクワクして、今でも虫よけの樟脳(しょうのう)の香りはその気持ちを思い出させてくれます。

京都ではお内裏様は向かって右側ですが、東京に住んでいた時に友人宅のお内裏様が左側におられて、関西式、関東式があると知りました。

画像:料理旅館白梅

画像:料理旅館白梅

古来から日本では左が上位で、その理由は神道に由来すると聞いたことがあります。神々はいつも太陽の方向に向かい座しておられ、その住まいの神社の本殿は基本的に南に面して作られたとか。

帝は南面して京都御所に座っておられたので、帝から見て左手側が東、右手側が西となります。東は太陽が昇る方向ですからパワーがあるというわけなんでしょうね。

他府県の友人に「京都地図を見たら右側にあるのに左京区で、左にあるのが右京区なの?」とよくきかれますが、御所で南に向いて座っておられる帝から見て、左手が左京区、右側が右京区となったということですので、御所を基準にして地名が決められた歴史的背景があります。

明治になって宮中正装が洋装になってから、西洋式の立ち方向かって右に女性、左に男性が取り入れられました。これは女性の右側に立つことで男性の利き腕が自由になり女性をエスコートしやすくなるため」だそうですよ。

画像:料理旅館白梅

小学校の頃は友人を招いたり招かれたりして、お膳にはちらし寿司に赤貝のぬた和え、夫婦和合を願う蛤のお吸い物をそえて甘酒で「おひとつどうぞ~」と芸舞妓の真似をしてお酌ごっこをしました。余興は京舞とピンクレディー、やキャンディーズの歌と振り付け。

古くから習い事は6歳の6月6日から始めると上達するという言い伝えに従って、私は京舞井上流・五世家元 井上八千代さんに習いに行っていましたが、ちっとも上達しないので、「あわよくば舞妓に出したろ」という母の目論見は失敗に終わりました。でも、ピンクレディーの振り付けは結構いけていたと思います。

画像:料理旅館白梅

私が子どもの頃の雛飾りは7段飾りも多くて、ひな人形に一部屋占領されていましたし、そこが近所の女の子のたまり場となりましたが、今はさすがに少ないようですね。

お知り合いの安藤人形店の奥様によると、最近の流行りは女雛男雛のみの内裏雛飾りか、あとから少しずつ2段3段飾りに増やしていかれる方が多いそうです。
京都では男雛は天皇さまの正装で、今上天皇もご即位の際に着用された黄櫨染御袍(こうぜんのごほう)の衣装、女雛は西陣織の十二単が好まれるといわれます。東京では武家の正装だった黒の束帯が根強いそうです。

お顔の好みは京都では古典的な、東京でははっきりした目鼻立ちの顔に人気の傾向があると言われます。
安藤人形店で作られている内裏雛はオートクチュールで、頭師、手足師、お髪師、着付け師、小物師と完全分業で1体のお雛様を作っていかれる芸術品。何世代にもわたって大切にされるはずだと納得です。

画像:料理旅館白梅

奥田朋子(おくだ ともこ)/料理旅館白梅 女将

1965年京都生まれ。1989年全日本空輸株式会社にCAとして入社。
1997年より若女将として、2017年より女将として料理旅館白梅を経営し、2017年より祇園新橋景観づくり協議会会長として京都、祇園の街づくり活動にも積極的に参加している。

文/奥田朋子

【画像】料理旅館白梅
※画像はイメージです。