KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年9月3日(日)に放送された『百万遍から神楽岡へ~庶民に寄り添う知恩寺と女性を救う真如堂~』から『百万遍』の由来をご紹介。
地域から親しまれる「ひゃくまんべんさん」
京都大学の近く、東大路通と今出川通が交わる『百万遍』の交差点。
『百万遍』と聞いてこの交差点を思い浮かべる人も多いでしょう。
地域の方に「ひゃくまんべんさん」と親しまれ、『百万遍』交差点の名前の由来ともなった寺院が交差点の東北側にあります。
その寺院とは、『浄土宗 大本山 百萬遍 知恩寺』。
京都市左京区にある知恩寺へは、市バス『百万遍』で下車後、歩いてすぐ。もしくは、京阪『出町柳』駅から歩いておよそ10分です。
法然上人への恩を表す『知恩寺』
知恩寺は、浄土宗の開祖・法然上人によって開かれた浄土宗七大本山のひとつ。
今から約800年前、法然上人が人々に念仏の教えを説いた賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社の総称)の神宮寺である『功徳院』が前身となる寺院です。。
法然上人に弟子として仕えた勢観房源智上人(せいかんぼうげんちしょうにん)により、法然上人の死後、師の恩に報いるためには“恩”を“知”らなければならないとして『功徳院』から『知恩寺』に改められました。
知恩寺の正式名称は『長徳山 功徳院 百萬遍 知恩寺』といいます。
寺院の名称は山号・院号・寺号という3つの要素で成り立つのが一般的です。ところが、知恩寺は山号の長徳山、院号の功徳院、寺号の知恩寺に加えて、4つ目の“百萬遍”という号が付きます。
疫病退散の願いと「百萬遍」
知恩寺に4つ目の号が付けられたきっかけは、鎌倉時代に起きた災害だといわれています。
元弘元年に畿内で大地震が起こり、さらにそれが元となって疫病が大流行しました。
そこで、時の後醍醐天皇の勅命により、知恩寺の八世・善阿空円上人が七日七夜の”百万遍(=百万回)”念仏を行ったところ、疫病が止んだのだそうです。
これにより、4つ目の号である“百萬遍”を後醍醐天皇から下賜されたと伝えられています。
百萬遍 知恩寺はその後、火災や戦乱により3度の移転を繰り返し、江戸時代に現在の京都市左京区の地に移りました。今では、“百萬遍さん”として京都の人々から親しまれる地名にもなっています。
法然上人の想いと素朴な信仰が今も感じられる百萬遍 知恩寺。普段は人影もまばらで静かですが、毎月15日に行われる『百万遍さんの手づくり市』では約320組による手作りの品が並びます。
訪れた際にはぜひゆっくり境内の散策し、その魅力に浸ってみてくださいね。
文/さとみ縁
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年9月3日(日)放送時点の情報です。