KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
2023年9月10日(日)に放送された『仏師と訪ねる国宝阿弥陀如来像〜仁和寺・清凉寺・法界寺〜』から、『清凉寺』をご紹介します。
かつては源融の山荘だった、清凉寺
平安時代から仏像制作の中心であり続ける街、京都。市内に工房を持つ仏師・三浦耀山さんも仏像づくりの伝統技術を受け継ぐ一人です。
三浦耀山さんと向かったのは、京都市右京区にある清凉寺。
清凉寺までは、JR嵯峨野線『嵯峨嵐山』駅より徒歩およそ12分、市バスの『嵯峨釈迦堂前』のバス停からは、徒歩およそ2分です。
清凉寺の仁王門は、和様と禅宗様を折衷した楼門。初層には室町時代の仁王像、上層には十六羅漢像を祀ります。
平安時代、この場所にあったのは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の山荘でした。
それが寺に改められ棲霞寺(せいかじ)となり、その境内地に奝然上人やその弟子たちによって清凉寺が建立されたのは長和5年(1016年)のことです。
境内に入ると、正面に見えるのが本堂です。清凉寺の本尊・釈迦如来像を安置することから釈迦堂の呼び名もあります。
江戸時代初めの大火で焼失しましたが、徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院の発願、そして豪商・住友吉左衛門の援助により、元禄14年(1701年)に再建されました。
本堂の東側、かつて棲霞寺の本堂があった場所に建つのが阿弥陀堂。こちらも火災で焼失しましたが文久3年(1863年)に再建されました。
貴重な寺宝の宝庫・霊宝館
国宝・阿弥陀三尊像が安置されている霊宝館へ。
こちらが国宝の阿弥陀三尊像です。
「お顔が特徴的で、穏やかでありながら端正な顔立ちの阿弥陀様です。脇の菩薩様を見ても肩幅がしっかりとあるのも特徴的で、平安時代後期になるとなで肩になってくるので、時代の特徴を表していますね」と三浦さん。
よく見ると光背にも緻密な造形が施されています。
嵯峨光仏とも称される美しい阿弥陀三尊像は、1000年以上にわたり人々の信仰を集めてきました。
そのほか霊宝館には、清凉寺の寺宝の数々が納められています。
中でも、仏師の三浦さんが強く心を惹かれたのが、毘沙門天坐像です。
「甲冑をよく見ると兜跋毘沙門天と似たような装いになっていて、中国・唐から渡ってきた独特の雰囲気を残している」と三浦さん。
はっきりとした規定がないため毘沙門天像は様々な姿をしていますが、座っている姿の像はかなり珍しいのだそうです。
国宝・阿弥陀三尊像をはじめ貴重な仏像が安置されている清凉寺の霊宝館は、毎年、春と秋に特別公開が行われます。
清凉寺の建立のきっかけは“生身の釈迦如来”
古くから京都の人たちの信仰を集めてきた清凉寺は、嵯峨釈迦堂とも呼ばれてきました。その理由は本堂にあります。
こちらが、清凉寺の本尊・釈迦如来立像です。
お釈迦さまが37歳の時の姿を写した像とされ、“生身の釈迦如来”とも呼ばれます。
この仏像に礼拝する人があとを断たなかったことから清凉寺は嵯峨釈迦堂と呼ばれるようになり、清凉寺式という同じ様式の釈迦如来像が全国に広まりました。
この釈迦如来立像は、清凉寺建立のきっかけにもなっています。
開山・奝然上人が“生身の釈迦如来”を中国・北宋より持ち帰ったのは、永延元年(987年)のこと。
上人は中国の五台山に見立てた京都の愛宕山の麓に、清凉寺の建立をはかりました。
しかし願いは叶わず、上人の遺志を継いだ弟子の盛算が長和5年(1016年)に棲霞寺の釈迦堂に“生身の釈迦如来”を奉安。
それが清凉寺の建立とされています。
国宝にも指定されている釈迦如来立像。昭和28年から行われた修復調査で、胎内から意外なものが見つかりました。
中国の貨幣とともに胎内に納められていたのは、絹で作られた内臓の模型。
まさに“生身の釈迦如来”であったことが分かりました。
こちらが心臓。
そしてこちらが肺です。
そのほかの臓器もほぼ正しい位置関係で納められており、世界最古の内臓模型と言われています。
千年前の中国には、すでに人体解剖の正確な知識があったのですね。
極めて貴重な“生身の釈迦如来”を安置する清凉寺。貴重な寺宝とともに、一度は拝んでみたい仏像です。ぜひ足を運んでみてくださいね。
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文/ななえ
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年9月10日(日)放送時点の情報です。