KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年12月10日(日)に放送された『京都八幡の歴史秘話~石清水八幡宮・松花堂庭園・神應寺・飛行神社~』から『松花堂庭園』をご紹介します。
約20,000平米の広さ「松花堂庭園」
京都府八幡市の石清水八幡宮には、かつて境内地に40を超えるお寺が建ち“男山四十八坊”と呼ばれていましたが、明治の廃仏毀釈ですべてが撤去されることになり、ほとんどが取り壊されてしまいました。
男山の中腹にあった僧坊・泉坊もお寺としての歴史を閉じましたが、江戸時代初期を代表する文化人でもあった僧侶・松花堂昭乗ゆかりの草庵・松花堂と泉坊の書院は、男山の麓に移築され、庭園として整備されることになりました。
その庭園が、八幡市八幡女郎花(やわたおみなえし)という美しい地名の場所にある『松花堂庭園』です。
松花堂庭園・美術館までは、京阪本線『石清水八幡宮』駅で下車、駅前のバス停から京阪バスでおよそ10分、『大芝・松花堂前』のバス停で下車し歩いてすぐです。
江戸時代初期、石清水八幡宮の瀧本坊で剃髪し、真言密教を極める高僧となった松花堂昭乗は、書道・絵画・作庭・茶道・和歌と多方面に才能を発揮した文化人でした。
特に書においては、松花堂流と呼ばれる書風を確立し、近衛信尹・本阿弥光悦と共に“寛永の三筆”と呼ばれていました。
松花堂昭乗が最晩年を過ごした草庵・松花堂と泉坊の書院が移築された松花堂庭園には……、
現在は美術館も併設されています。
庭園は広さが約20,000平米、甲子園球場と大体同じ広さになっています。竹、笹類が40種類以上、椿が200本以上植えられているのが特徴で、紅葉や春には桜、紫陽花、初夏の新緑など、一年を通して四季を楽しめる庭園です。
外園には3棟の茶室が建てられています。こちらは千利休の孫にあたる千宗旦(せんのそうたん)好みの茶室を再現した梅隠です。
床を高く張った建築で、均整のとれた穏やかなたたずまいを見せている茶室は松隠です。男山の山腹の僧坊・瀧本坊にあった有名な茶室・閑雲軒(かんうんけん)を復元したものになります。
外園にあるもう1つの茶室が竹隠です。四畳半茶室としては他には例のない優雅な琵琶床(床の脇に琵琶棚がある床の間)を設け、突き上げ窓、連子窓の配置にも細かい心遣いがみてとれます。
松花堂庭園の内園
松花堂昭乗ゆかりの建物が遺る内園は、地震や台風による被害で現在、復旧工事中。原則非公開のところを、特別に撮影させていただきました。
草庵・松花堂は、松花堂昭乗が泉坊の傍に建てた隠居後の住まいを移築したもの。この住まいに茶道具を持っていって、親交のあった文化人を招いて茶を楽しんだと言われています。
わずか畳二畳分という空間に様々な要素が複雑に組み合わされており、住居としても茶室としても、禅の境地に通じるよう一切の無駄をそぎ落としたのち、必要な施設を設けています。精神的、芸術的生活の総まとめとして昭乗の人間性そのものを象徴するような遺構になっています。
その隣にある泉坊書院も、現在、復旧工事中になります。玄関は、豊臣秀吉の居城、伏見城の遺構と伝わっています。
2002年には、松花堂庭園に併設して美術館がオープンしました。昭乗を紹介する常設展示をはじめ、春と秋に企画展や特別展を開催しています。
「松花堂弁当」誕生のきっかけ
美術館の隣には、京都を代表する老舗の料亭『京都吉兆 松花堂店』があります。
お弁当の代名詞の一つとも言われている『松花堂弁当』は、1933年に吉兆の創業者・湯木貞一氏が八幡を訪れた際に松花堂昭乗が好んだ四つ切の箱に興味をもち、料理の器に使えると考え、松花堂弁当を生み出したと言われています。
松花堂昭乗に敬意を払い『松花堂弁当』と名付けられたことから、同様のスタイルのお弁当はすべて『松花堂弁当』と呼ばれるようになりました。
※季節により料理内容は変わります。
文化人・松花堂昭乗が晩年を過ごした地に是非足を運んでみてください。
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文/西門
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年12月10日(日)放送時点の情報です。