KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
2023年4月9日(日)に放送された『谷崎潤一郎が愛した京都~神護寺・曼殊院門跡・石村亭・法然院~』を、全5回に分けてご紹介します。
谷崎潤一郎が愛した京都~神護寺・曼殊院門跡・石村亭・法然院~
- 第1話 「細雪」で描かれる桜
- 第2話 神護寺で記された「春琴抄」
- 第3話 曼殊院門跡で学び「少将滋幹の母」へ
- 第4話 「夢の浮橋」の舞台、潺湲亭(現 石村亭)
- 第5話 「瘋癲老人日記」に描かれた谷崎と法然院
高雄にある神護寺
京都・高雄の神護寺。
中心となるお堂・金堂は、昭和8年から9年にかけて行われた昭和の復興事業で建てられました。
格天井(ごうてんじょう)や折上げの内陣、
かえる股や貫、長押や柱などには平安時代さながらの文様彩色や彫り物が施されています。
国宝・薬師如来立像は平安時代前期の一木彫像の頂点とされる仏像です。両手の先を除いて、太いかやの木から切り出して造られています。
左手には薬壺(やっこ)、右手は伸ばし手のひらを前に向ける施無畏印(せむいいん)を結んでいます。
見据えるような鋭いまなざしに、太い鼻筋と肉付きのよい小鼻、突き出されへの字に引き締められた唇、威圧感のある表情で神護寺の歴史を見つめてきたご本尊です。
京都駅からJRバスに乗り、高雄で下車し、徒歩およそ20分のところに神護寺はあります。
昭和の復興事業で金堂が果てられるまで本堂だったのが毘沙門堂でした。
谷崎潤一郎と神護寺の繋がり
毘沙門堂に祀られていた薬師如来立像に手を合したであろう二人の男女が、作家の谷崎潤一郎とのちに三人目の妻となった松子です。松子の父は大阪にあった造船所の重役で、神護寺とも深い繋がりがありました。
神護寺の境内にある地蔵堂の隣の書院で、谷崎は『春琴抄(しゅんきんしょう)』を執筆しました。
地蔵院は明治の廃仏毀釈で建物を取り壊され、明治33年に復興されました。その復興の寄進の一人が松子の実父だったそうです。
当時谷崎と松子は婚約はしたもののまだ結婚しておらず、谷崎は二人目の妻と別れる最中でした。資金が早急に必要となり、早く小説を書き上げたいという思いがあったのではないかと神護寺の貫主は話します。
地蔵院は神護寺の境内の西端にあり、かわらけ投げが行える場所のあたりです。
松子と出会わなければ『春琴抄』をはじめとする数々の名作は生まれなかったのかもしれません。
作品に影響を与える、谷崎潤一郎の女性遍歴
谷崎文学の研究者として知られる武庫川女子大学名誉教授のたつみ都志先生に谷崎の女性関係について伺いました。「自身の女性遍歴が作品に与えた影響は大きい」と先生は話します。
24歳の時に書いた『刺青(しせい)』で絶賛され、一躍“文壇の寵児”となった谷崎は、芸者遊びにはまります。その中で、4歳年上の初(はつ)という女性に恋をし結婚を申し込み、断られ、初の妹をすすめられた谷崎は、妹・千代と最初の結婚をします。しかし、性格が想像と違った千代に、こんなはずではなかったと谷崎は後悔し、結婚生活はうまくいきませんでした。
そんな中、千代の妹のせい子(当時16歳)に夢中になります。
近代日本の詩人・小説家である佐藤春夫は、谷崎のいない谷崎家に訪れ、千代と娘が寂しそうに秋刀魚などのご飯を食べている様子を見ていました。佐藤春夫の『秋刀魚の歌』は、ここから生まれたそうです。
谷崎は佐藤春夫に妻をゆずり、せい子と再婚しようと画策し失敗します。そして、身勝手な行動に激怒した佐藤春夫に絶交されます。これを住んでいた場所から『小田原事件』というそうです。
そして、せい子をモデルにした『痴人の愛』という作品書きました。
最初の妻・千代と離婚した翌年、45歳で、21歳年下の女性・古川丁未子と電撃結婚。しかし、すぐに丁未子から心が離れてしまいます。谷崎は、人妻・根津松子に秘かに思いを寄せていました。丁未子との関係が崩れ始め、神護寺で記されたのが『春琴抄』です。
谷崎は『春琴抄』の原稿を持ち、松子に話を聞かせました。すると、松子は春琴を演じてくれます。自分の世界観を具現化してくれる松子に、谷崎はさらに心惹かれていったそうです。
谷崎と松子の関係がマスコミに知られ、松子は世間からバッシングを受けたこともあり、谷崎は松子と正式に結婚しました。
続いては、“谷崎潤一郎が愛した京都~第3話 曼殊院門跡で学び小説「少将滋幹の母」へ~”をご紹介します。
文/きょうとくらす編集部
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年4月9日(日)放送時点の情報です。