KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年6月4日(日)に放送された『禅寺に伝わる女性と仏教の物語』から『相国寺とその山外塔頭寺院』を4回に分けてご紹介。
臨済宗相国寺派の大本山・相国寺とその山外塔頭寺院である眞如寺、金閣寺、銀閣寺の歴史と魅力をご紹介します。
相国寺とその山外塔頭寺院~相国寺・眞如寺・金閣寺・銀閣寺~
「眞如寺」の歴史
京都市北区と右京区の境にある衣笠山の周辺は、貴族の隠棲の地として好まれた地域。多くの公家や高僧が別荘やお寺を造営しています。
北区等持院北町にある眞如寺もそのひとつです。※眞如寺は通常非公開寺院。
眞如寺までのアクセスは、京福電鉄等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅から徒歩およそ5分。市バス等持院東町のバス停からも徒歩およそ5分です。
鎌倉時代の1286年、無外如大尼(むがいにょだいに)という尼僧が『正脈庵(しょうみゃくあん)』という庵をこの地に開きました。
無外如大尼の師匠である仏光国師・無学祖元(むがくそげん)禅師の髪の毛と爪をお祀りする庵として始まったのが、眞如寺の起こりだと伝わります。
眞如寺は金閣寺や銀閣寺と同じ相国寺の山外塔頭寺院で、通常は非公開。秋などに行われる特別拝観は事前に予約が必要です。
見どころ1 :カキツバタの池と非公開の法堂
南門を入ると山門までまっすぐに参道が続いています。途中にある池はカキツバタの名所。毎年5月上旬には橋の両側にカキツバタが咲き誇ります。
扁額に“大雄殿(だいおうでん)”と書かれている法堂(仏殿)も通常非公開。仏殿も兼ねているその内部を特別に撮影させてもらいました。
正面上段に鎮座するのは本尊の宝冠釈迦如来像。三門の楼上などに見られる宝冠を頂いたお釈迦さまの像です。
その下、法堂正面には、眞如寺の勧請開山(かんじょうかいさん)にあたる無学祖元禅師(仏光国師)の像が安置されています。
鎌倉時代、北条時宗により中国から招かれた高僧で、相国寺開山の夢窓国師は孫弟子。来日にあたっては鶴岡八幡宮の鳩に導かれ龍と共に海を渡ったという逸話が残っています。
無外如大尼を始めとする5体の尼僧像
祖元禅師の像の右側に安置されているのが眞如寺の勧請開基・無外如大尼の像。無学祖元の法脈を継ぐ最初の尼僧として知られています。
大変美しかったと伝わる無外如大尼は、男性僧の中で修業をするにあたり、修業の妨げにならないよう焼きごてで自らの顔を焼いたといいます。無外如大尼が修業に対して大きな覚悟を持っていたことがわかる逸話です。
当時、非常に低い扱いを受けてた尼僧の位でありながら、性別を超える存在となった無外如大尼。後に尼僧を始め多くの人々の尊敬・尊崇を集めました。
その無外如大尼を慕うかのように並ぶのが、尼寺『宝鏡寺』の歴代門跡の像。眞如寺は安土桃山時代のころから、尼門跡寺院・宝鏡寺の菩提所となっています。
合わせて5体の尼僧像が安置されるのは大変珍しいことだそうです。
そのきっかけとなったのが、左から2番目に並ぶ仙壽院宮理昌尼(せんじゅいんのみやりしょうに)。
仙壽院宮は、江戸時代初めの天皇であり上皇・後水尾院の5番目の皇女。出家し宝鏡寺の第20世門跡となりましたがわずか25歳で亡くなりました。
それを嘆いた後水尾院が丁重に菩提を弔うため、応仁の乱で荒廃していた菩提所・眞如寺の仏殿を再興し、仙壽院宮の像を奉納。これにならい、宝鏡寺の門跡の像が代々安置されたと伝わります。
右端に安置されているのは本覚院宮理豊尼(ほんがくいんのみやりほうに)の像。後水尾院の孫にあたる皇女で、宝鏡寺第22世門跡です。
法堂や客殿の扁額のもとになった墨蹟は、本覚院宮の筆によるものと伝わります。
続いては、“~第3話~世界遺産「金閣寺」”についてご紹介します。
文/中村ゆか
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年6月4日(日)放送時点の情報です。