KBS京都で放送中の『京都浪漫~悠久の物語~』。
今回は、2023年6月4日(日)に放送された『禅寺に伝わる女性と仏教の物語』から『相国寺とその山外塔頭寺院』を4回に分けてご紹介。
臨済宗相国寺派の大本山・相国寺とその山外塔頭寺院である眞如寺、金閣寺、銀閣寺の歴史と魅力をご紹介します。
相国寺とその山外塔頭寺院~相国寺・眞如寺・金閣寺・銀閣寺~
「慈照寺(銀閣寺)」の歴史
京都市左京区にある世界遺産・銀閣寺。
銀閣寺まではJR京都駅から市バスでおよそ30分、バス停銀閣寺前で下車徒歩およそ5分です。
応仁の乱が終わって5年後の文明14年(1482年)に、室町幕府8代将軍・足利義政が造営した山荘 『東山殿』を、義政の死後 『慈照寺』と名付け禅寺に改めたのが始まりです。
江戸時代、相国寺の山外塔頭寺院・鹿苑寺が『金閣寺』と称されたのに対し、『銀閣寺』と呼ばれるようになりました。
足利義政が造営した山荘『東山殿』は、今よりはるかに大規模。『観音殿』や『東求堂』のほか多くの建物がところ狭しと建ち並んでいました。
しかし、戦国時代に足利将軍家と三好氏の争いで『東山殿』の一帯が戦場となり、建物も大部分が焼失。徳川幕府の命により復興が進んだのは江戸時代初めのことです。
砂で造られた美しい情景! 「銀沙灘」と「向月台」
唐門の 『火灯窓(かとうまど)』の向こうには、美しい砂の情景が見えてきます。
こちらは、白川の白砂が用いられている 『銀沙灘(ぎんしゃだん)』です。
そして、円錐台形に砂が盛られたこちらは『向月台』といいます。
『銀沙灘』も 『向月台』も江戸時代に造られたと考えられていますが、いつ誰が造ったのかはっきりとは分かっていません。
国宝の持仏堂「東求堂」と書院造の原点「同仁斎」
国宝 『東求堂(とうぐどう)』は、足利義政の持仏・阿弥陀如来像を安置するために建てられた持仏堂です。
仏間の東側にあるのが『同仁斎(どうじんさい)』と名付けられた義政の書斎。元将軍が使っていたとは思えないこの小部屋が、“四畳半”という間取りの始まりなのだとか。
付書院や違い棚を構えた書院造の原点とされます。
銀閣寺を象徴する建物 「観音殿」の気になる内部
銀閣とも呼ばれる国宝 『観音殿』は、足利義政が亡くなる1年前の長享3年(1489年)に棟上げされ、義政の死後完成した銀閣寺を象徴する建物です。
下層にあるのは 『心空殿』と名付けられた8畳ほどの板敷きの仏間。
地蔵菩薩坐像と千体地蔵菩薩立像が安置されています。
楼閣の上層は『潮音閣』と名付けられた仏堂。内陣は16畳ほどの板敷きで、観音菩薩坐像が安置されている禅宗様の仏間です。
内部はすべて漆塗り。建設当初は外壁も黒漆で覆われていたと考えられています。
臨済宗相国寺派の大本山・相国寺とその山外塔頭寺院は、禅の修行に励んだ歴史上の人々の思いから作り上げられています。その地へ出向き、歴史上の人物に思いを馳せると、より一層美しさを増した情景に見えることでしょう。ぜひ今回ご紹介した禅寺に足を運んでみてください。
文/中村ゆか
【画像・参考】京都浪漫~悠久の物語~(第1・2週 日曜日 21:00~21:55/再放送 第3・4週 日曜日 21:00~21:55) – KBS京都
※この記事は、2023年6月4日(日)放送時点の情報です。